建築にさかのぼって-Back to an Architecture-

2、実践の風景から

以下では筆者の実践を「土嚢建築」と「パッシブソーラーハウス」に大別して記述したい。

2−1 「土嚢建築」の実践

1、西インド震災復興住居モデル建設(2001〜2004)

■背景と概要 

 2000年におきたインド西部大地震によって、西インドの村落は壊滅的な被害を受けた。プロジェクト地であるグジャラート州ジャムナガール市もそんな被害を被った地域である。同震災で、村落にあるほとんどの矩形平面の家屋は倒壊したが、円形土造住宅であるボンガ/クバのみは何らの被害も受けずに瓦礫の中に屹立していた(図1)

(図1)被災地の風景(左)と無傷のボンガ(右)

 その伝統的かつ構造的に頑強な住居形式を「土嚢建築」に転換し、震災復興住居モデルを提示するのが当プロジェクトである。住居の平面形式は当地の典型的な居室構成を採用し、構造においても壁のみを土嚢造とし屋根は木造草葺とした(図2)(図3)。またここでは復興住居モデルの建設だけではなく、それが集合して形成される村落計画も提示した。なお、プロジェクトは現地NGO:JJSKSと天理大学*3の共同でおこなわれた。

(図2)西インド典型住居平面(左)と土嚢建築による復興モデル住居(右)

(図3)復興モデル住居のバリエーション

■ プロジェクトの経過

建設は日本側として筆者と天理大学の学生、インド側は建築技師:プロバンシン氏と子供も含む現地住民にておこなわれた。敷地は震災後の荒漠とした土地であり、よるべきものが何もない状態であった。そんな中、円形土嚢住居を設置する場所を選択し、ドームの中心を定めて建設を始めた。中心のまわりに土嚢が積み上がるにつれて荒涼とした現場には次第に活気が満ち始めた。土嚢ドームの中心から傷ついた世界が少しずつ回復していくようであった。モデル住居は一月あまりで完成した。モデル住居建設中、現地NGO:JJSKS代表のタンナ氏はモデル住居を幾度も視察しに訪れた。しかしながら彼はいつもどこか不満気であった。彼によると、このモデル住居は現地の村落で普通に見られるものであり、これには未来や夢が感じられないとのことであった。その発言を受けて筆者が持参していたマンダラ型の村落計画を示すと、それまで厳しく生硬であった彼の表情はいきいきとしはじめ、この全体計画の実現を強く希求した(図4)。この現象を目の当たりにして逆に筆者は当惑し、マンダラ型村落計画の意味を改めて再考する必要に迫られた。結局この村落計画は規模が大き過ぎた(10ha)こともあり実現しなかったが、この提示以後、現場の士気は明らかに高まり、2004年には極小規模であるがマンダラ型の読書室が誕生した(図5)

(図4)マンダラ村落計画:インド震災復興村落モデル

(図5)極小マンダラ:バラチャディー小学校読書室

■考察

 現地は大震災により壊滅的な被害を受け、荒漠とした風景がひろがっていた。こういう場所ではその復興に向けた建設の在り方が大きく問われる。震災が壊すものは建造物などの物理的なものだけではなく、そこにいた人々の心も深く傷つける。それゆえそこに建設すべきものは物理的条件を満たすだけのシェルターでは不十分であり、シェルター建設の過程が傷ついた心を癒していく過程と重なっていく必要がある。「土嚢建築」において、まずドームを建設するための円弧中心を決定し、そこに杭を打ち込み大地に円を描く。この求心的な行為により荒涼とした土地に中心が発生する。次いで周辺の大地を掘り返し、そこで得られた土を積み上げる。回復した中心まわりに盛り上がったもう一つの大地ができあがり、それと同時にその内部に卵形の胎内回帰的空間が生まれる(図6)。この建設行為を被災者自らが行うことで彼ら自身の心にもよりどころが生まれ傷が癒えていくようであった。これは土嚢ドームの建設に共通してみられる効能である。

(図6)土嚢ドーム見上げ:胎内回帰の空間

 しかし、マンダラ型村落のエピソードからは、仮に単体建築の建設に癒しの効果があるとしても、それだけでは不十分なことがわかる。単体建築が集合してできる全体計画の在り方もきわめて重要なのである。別の復興現場ではインド政府が計画したグリッド配置の村落が建設されていたが、それを建設する人々の目はどこかうつろであり、寒々とした風景が広がっていたことを記憶している。これはグリッドというカタチが問題なのではなく、グリッドプランを導入する理由として配置効率しか考慮されていないことが問題なのである。では一方のマンダラ型村落にはどんな意味と可能性があるのであろうか。マンダラというカタチは古今東西の美術や建築平面に普遍的に見られるものであり、物質の構成要素や動植物の部分形状にも見られ、宇宙(森羅万象)モデルと考えられている。フロイトとならぶ現代心理学者の巨匠、C.G.ユングによると精神病患者の治療の際、患者に彼らの内面イメージの絵をかかせると、その治癒過程で絵はマンダラになっていくという(図7)

(図7)C.G.ユングが治療した患者の治療初期の絵と治癒時のマンダラ型絵画

 ユングはマンダラを人間的全体の象徴として解釈しており、夢にマンダラがあらわれる場合は心の混乱状態に際して無意識のうちに自己治癒を試みているのだとしている。マンダラ状の村落計画はこの心理治療の際にあらわれるマンダラと同じように機能したといえるのではないか。震災でほぼすべての建物が倒壊し荒廃した風景。これはバラバラに分解した、混乱に満ちた様態である。そんななかマンダラ型の村落に触れ、それを実現しようと強くイメージすることで希望がうまれ傷ついた心を回復させて、ふたたび全体性ある世界が獲得されるのである。この経験から、たとえ小さな土嚢ドームを建設する場合でも、単体の設計だけではなく、それが集合したマンダラ状の全体像(筆者はこれを「泥曼荼羅」と名付けている。以下「泥曼荼羅」)を提示するようになり、これは以後の実践においても大きな力を発揮することになる。

*3 天理大学との共同は、インドをはじめ、東アフリカエコビレッジプロジェクト(2007-)AFRIKA文化再興支援活動(2009-)など、以後継続的におこなっている。これは井上昭夫(天理大学おやさと研究所所長)氏によるところが大きい。氏は2000年に土嚢建築創始者であるナアダ・カリーリ主宰のカルアース研究所をたずね、その技術の国際協力使用を打診し了承を得、土嚢建築建設による国際協力活動の先鞭をつけた。その後、2001年筆者は氏とともにカルアース研究所を視察、土嚢建築技術を習得した。氏は筆者との共同以外に中国、アフガニスタンなどでも土嚢建築実践を指揮している。