建築にさかのぼって-Back to an Architecture-

3、ヨルダン南シューナ地区コミュニティセンター
(2007ー2009年:ヨルダン・ハシュミット王国)

■背景と計画の概要

 同施設はヨルダン南シューナ地区で活動する貧困層の女性団体:アルジャワスレの活動拠点であり、同地区の識字教室などにも使用されるコミュニティセンターでもある。

同地区はヨルダンにおける貧困指定地区であり、失業者数も相当数にのぼる。アルジャワスレのメンバーも貧困層であり、活動拠点を持たない。この施設建設により同地区の貧困緩和と彼らの自律を促すのがこの計画の第一目的である(図20)

(図20)死海のほとり、南シューナの風景。荒漠とした空間がひろがっている。

また、現在高度経済成長期を経てヨルダンでは石造建築が消滅寸前である。同施設はその建設技術の継承と、未来へつながるような新たな石造建築の在り方を指し示すモデルとしての役割も担う。なお、プロジェクトはODAと社団法人:日本国際民間協力会(NICCO)の共同事業である。

敷地は南北に細長い角地であり、その南側にコミュニティセンターを、北側は農園とする計画とした。センターは石造建築、「土嚢建築」、RC造の三種の混構造とした。主建築はL型平面とし一方の翼を教室/工房にあて、他方をキッチン+ダイニングとした。この主建築の壁は連続アーチによって分節される石造とし、屋根と南面のみをRC造とした。RC造の導入により屋根荷重の軽減をはかり、パッシブソーラーシステムとして機能する南面大開口が実現可能となった。またこの両翼をつなぐ位置に直径5メートルの土嚢ドームを接続し、これを応接室とした。さらに中庭脇に4メートル直径の小ドームを設置しこれを小店舗にあてている(図21)。農園は窪地としているがこれは「土嚢建築」に必要な土砂を掘り返した結果発生する窪地であり、これを積極的にデザインに取り入れたものである。

(図21)コミュニティセンターの施設配置(上)と空間構成(下)

■プロジェクトの経過

 建設は石造部分を現地の石工が担い、RC部分は現地施工業者が担当した。「土嚢建築」は地域住民によるWS(ワークショップ)方式で筆者および江崎貴洋氏*6(D環境造形システム研究所)の指揮の下に建設された。ヨルダンは石造/日干煉瓦造建築文化圏であり、数十年前まではすべての建築は石造か日干煉瓦造であった。しかし、高度経済成長期を経てRC造ボックス型住居がアンマンを筆頭に都市部で爆発的な勢いで建設され、一方の石造住居はほとんど顧みられることもなく、農村でも廃墟と化した石造住居をせいぜい家畜小屋として使用するという現況である(図22)(図23)

(図22)アンマン市外風景。RCボックス型住居が無限増殖を続ける

(図23)都市郊外で廃墟化が進む石造建築。

こんな状況であるから現在石工は激減しており、かろうじて石工として生計をたてている職人も普段は石垣か家畜小屋の建設しか業務がない状態であった。当施設の石造建築を担った石工の親方も代々石工である生粋の職人ではあるものの、人相手の石造建築を作るのは初めてに近い経験であった(しかし、アーチ、ヴォールト、ドームといった典型的な石造技術は有している)(図24)

(図24)ヨルダンで伝統的に見られた石造工法の一覧

この一世一代ともいえる大仕事を得た石工集団の建設は鬼気迫るものがあった。彼らの業務は近隣の岩山に転がっている石材を選別して運搬するところからはじまる。当施設では乱石積を採用したため石の選別は極めて重要である。選別した石をうまく組み合わせて垂直な壁をくみ上げ、連続アーチは木造仮枠を設置して組みあげる。

着々と石造工事が進む傍らで、もう一方の土嚢ドーム建設も開始された。石造建築も「土嚢建築」も同じ組積造であり、そのため石工集団はこの工法に大きな興味を持った。特に彼らが注目したのは「土嚢建築」においてはドーム建設を型枠なしで施工できることであった。アーチをはじめとする曲面工事は完成したのちは石材ひとつひとつが荷重を分担しつつ全体を構成し、極めて堅固な構築物となるが、施工中は不安定である。それゆえ通常の施工では型枠が必須とされる。だからこそ型枠不要の「土嚢建築」に強く興味をしめしたのであった。逆に「土嚢建築」チームは型枠不要に強い不信感を示し、それがなかなか払拭できず、ほとんどの参加者がドーム上方での作業を怖がり拒否するというこれまでになかった事態が発生した(図25)

(図25)石造建築と土嚢建築の建設風景

また現在のヨルダンではRC造が主流であるにもかかわらず、その技術伝播がいきわたっているとはとても言い難く、今回計画した単純な曲面屋根の施工でさえ極めて難航してしまった。これらの事態から、ヨルダンの建設を巡る状況はここ十年で大きく変化したものの、彼らの中には色濃く石造建設のイメージがこびりついて離れないでいることが容易に見てとれた。この経験から、ある地域の建築材料と、それに適したカタチ、そしてそれを組み上げる構法というものが、動かし難い存在として厳然とあることを知り、このことについて改めて考えてみる必要があると感じた。

■考察

 当施設の最も大きな特色は3種の構法を組み合わせて作る混構造の建築であるということである。主建築の下部はスパン5.5メートル、長さ40メートルのL型石造建築である。この空間を石造壁で囲い込むために5メートルごとにアーチを架け渡して両外壁を結びつける方式をとった(図26)。この方式は現地石造住宅や城館跡にポピュラーに見られるものである(図27)ポピュラーというよりも、よっぽど特殊な方式を採用しない限りはこの方式によらねば壁は自律できないのだ。

(図26)石造部分の架構方式

(図27)ヨルダン・アズラック城の架構

ここで、建築材料とその構法、そしてそれによってできるカタチというものは建築の宿命たる重力への応答方式であり、長大な時間の中での数限りない実践を経て編み出されたものであることに改めて気づくことになった。「土嚢建築」においてドーム型が基本なのも、土嚢という建築材料にとってドームが最も適した重力応答方式であるからにほかならない。日本において「土嚢建築」が奇異に見え、馴染み難いのも、木造建築の柱と梁による重力応答方式とあまりにも隔たった位置に「土嚢建築」があるからであろう。

また長い石造建築時代を経たあとであったからこそ西洋近代におけるRC造建築の出現は画期的であったのであり、コルビュジェが平面形状と断面形状がほぼ同一であるというカタチの開発*7に挑み実現してみせたことも、不自由な石造からの解放という位相ではじめてよく理解できることなのである。

そういう意味で混構造建築は異種素材のテクスチュアの組み合わせを楽しむということは全く主眼ではない(たとえ結果的にそういうことが派生しようとも)。混構造とは異なった重力応答方式の組み合わせなのであり、その組合わせによる新たな応答方式と新たな空間を導くためのものなのだ。極めて自由にカタチを操れるRC造を起点にすると、この当然のことが見えにくくなる。しかし、このことをはずした建築など元来はありえないのである。

当施設の南翼空間においては下部で石造連続アーチが両外壁を支え、その壁からRC曲面屋根が伸びあがり軽々と5.5メートルスパンを飛び越え、南面大開口へと至る。その屋根荷重は南側ではRC壁柱が担い、北側では石造壁が受ける。また石造壁に穿った開口と土嚢ヴォールトは同じ組積構造としてモルタルで接合され土嚢ドームへと連続的につながっていく。結果としてこれまで当地では見られない内部空間が現出することになった(図28)。三つの重力応答方式を重層させることの可能性が垣間見えたのである。

(図28)異種構造混淆の内部空間

*6 D環境造形システム研究所常任研究員、SevenPlusFour & Associate代表。ジャワ島中部地震緊急支援活動(2006年)、マラウィ共和国貧困緩和支援活動(2007年)など、建設ワークショップやアートディレクションを通じた国際協力活動を実践・展開している。

*7屋根、壁、床という建築の古典的分節を廃して、一枚の面を屈曲湾曲させることでそれらが連続的につながっていく「一枚もの」の建築空間開発が最近の建築造形に顕著に見られるが、これもコルビュジェの試みの延長戦上にあるものといえよう。