建築にさかのぼって-Back to an Architecture-

3、 おわりに−始源に遡行し未来へ接続する−

 先に述べた4項目は、筆者の実践を通して思考されたものである。これまで、インド、中東、アフリカで「土嚢建築」を建設する機会を得て、それぞれの地域でそれぞれの風景を見つめてきた。そこでは地域固有の問題ももちろんあったが、その差異を超えて共通していたのは「建築が真に望まれていた」ということである。「建築が望まれる」とは、空間に中心を定め、ともに作り上げ、具現化した空間に夢を馳せ、生きる活力を得ること、それが望まれているということである。

 この望みに対して、きわめてシンプルかつプリミティブな建築技術を組み合わせて応答せねばならない。そんな時、建築するという行為の贅肉を極限までしぼりつつ、それでも今までそこになかったような新しい魅力ある空間を追求せねばならず、その状況下での実践は自ずと建築の始源への遡行となっていった。

 パッシブソーラーハウス研究はそういう位相とは異なった状況下でなされたものである。しかし、太陽と向き合い、その軌道を見つめ、そこから得る恩恵を極限まで高めていくと、結果として天体としての太陽を反映した形状へと収斂していくことを知った。また、並行して継続的に進めてきた世界各地での「土嚢建築」実践やヨルダンでのパッシブソーラーシステムの導入を経たことで、より根源的な位相でパッシブソーラーシステムを考えるようになった。ここでも建築始源への遡行がなされたのである。

 現在、世界中で環境問題が噴出し、それを解消すべき「エコロジー建築」の在り方が模索されているのは冒頭で述べた通りである。これは周辺にある環境すべてを科学的に解明・分析することで、すべての物象を人間社会に用立てようとする近代思考とその加速態である現代思考への反省から生起しているはずである。

 しかしながら、この状況は、収奪の対象を太陽熱や風力、自然素材など、環境負荷が小さくなる対象に置き換えているだけであり、思考そのものは反省すべきはずの近代・現代的思考のままであることが多い。

 現在は直接的には近代思考の上にたっているのは言うまでもなく、これを拒絶することはできない。しかし、近代が近代へと至るまでには、それまで積み重なった莫大な歴史が積層しているのであり、近代自体もこの歴史を前提にして成り立っている。当然、建築の歴史もこれと同様である。よって近代思考にたちつつも、その土台を一番奥底で支える始源へと遡行するのは可能であるし、その共通基盤に再度立たない限りは近代や現代の問題がはっきりと位置づけられないであろう。そして問題の位置が定まらないのならば、「エコロジー建築」を含む、その先に切り開くべき新しい建築の在り方も隠されたままになってしまうであろう。

 現在において未来へ接続すべき建築を思うとき、いかにそれが新しいものであっても、それが建築であるのならば、その始源には同じものが根にあるはずである。それは動かない。しかしながら、現代から始源へと遡ることで、基盤にあるものの意味を再度新たな問題設定から問い直すことはできよう。その後、始源から現代へともう一度問題を投げ返すことで、未来への接続の方法がみえてくるのではないか。

 現在において「建築をめざして」いくならば、「建築にさかのぼって」いくことが不可欠なように思われる。もし現代の建築が根から切り離され漂流する存在であるならば、それが「最新建築」を掲げようが、「エコロジー建築」を叫ぼうが、ただ流されて消えていくものとなってしまうだろう。そんな漂流とともに世界はますますみえなくなり、地球はどんどん乾涸びていき、建築はどこまでもいつまでも見失われたままで。