■ 其之一 本堂解読と再建指針 ■ 其之二 本堂再建の術 ■ 其之三 本堂の空間 |
そう見寺境内を構成する建築要素の大半は、甲賀を中心とするさまざまな寺院から移築されたものである。それは現存する三重塔(長寿寺からの移築)や仁王門をはじめ、本堂も同様である。このことは本堂再建に際して考慮すべき重要な特徴である。 しかし、静岡県の富士山本宮浅間大社本殿(図2)はそんな建築である。すなわち、下層は五間×四間、寄棟屋根の仏堂に近い建築であり、その上層は純粋な三間社流造本殿である。個々にはきわめて伝統的・典型的な二つの建築が垂直に連結された結果、他に類例のない建築となっている。 |
其之二 本堂再建の術
■「本堂尺」の設定 ロ、そこで「本堂尺」があるものと仮定し、それを算出する。 ハ、「本堂尺」を採用して「閣」の寸法を割り出すと ■密教五間本堂の改造=下層建築の構築(図3上)
イ、上記寸法に合致する密教五間本堂を用意する。なお礎石配置から外陣は奥行き二間、入側隅柱のないものとする。また「そう見寺文書」から組物出組、二間繋垂木とする。 ロ、内外陣境の格子戸をすべてとりはらい、密教本堂典型である外陣・内陣前後分節を廃する。内陣梁間を側柱梁間より広くとり内陣を自立した求心的領域として再編する。 ハ、内陣の改造は上層多宝塔との重合へ向けたものである。すなわち、内陣矩形上方に六角に梁を渡すとその梁上に二間四面の多宝塔がぴたりとおさまる。 ■多宝塔の改造=「閣」の構築(図3下) イ、多宝塔上層を取り払う。初層は組物(出組)以下は柱をはじめすべての材を保持する。なお多宝塔は四天柱形式のものを採用する(閼伽井坊多宝塔 室町時代など)(図4)。 ロ、厨子を四天柱内中央間から撤去し、その後方一間四方を改造して厨子とする。また四天柱に囲まれた中央一間の床を取り外し吹抜けが形成できるようにする。このように四天柱のある塔を改造して厨子を後方に設置する例として安楽寺塔婆(図5)(平成修理前)がある。 ハ、出組上部に二軒扇垂木(「そう見寺文書」による)をかけ寄棟屋根を作る。
■下層と「閣」の接合(図6)(図7)
ロ、「閣」(多宝塔)の十六本の柱はすべて保持する。 ハ、下層小屋裏の架構は使えるものは保持しつつ、上層柱を支えるための梁配置へと改変する。下層小屋裏の巨大な梁に十六本の柱をたてて、「閣」の十六本の柱下部につぐ。 ニ、全体としては多宝塔と密教本堂の造形特質を保持して上下重合させる。それゆえ下層屋根の立ちあがりなどは基本的にもとの密教本堂の立ち上がりを踏襲する。しかし「閣」位置が下層中央部から後退しているため、隅木方向と跳ね木方向は一致しない。変則的な屋根の掛け方が必要となる。 ホ、「閣」と下層が元来別の建築であることのサインとして、「閣」は上層を離れて宙に浮かぶように重合させることが望ましい。そのため浅間大社本殿にあるように上下の接合部(浅間大社は柱をついでいるわけではない)に挿肘木腰組による縁をまわす。これは長大な柱を固める役割も担う。 ヘ、また、下層内陣から「閣」の四天柱間に向けて空間が貫通するよう下層内陣中央部には天井を張らず吹抜けを形成する。この空間は安土城復元案(内藤昌案)の吹抜けを参照している。 ■中二階の出現(図7)(図8)
イ、下層の密教本堂ボリュームを保持すると、下層上層間に大きな小屋裏が残る。 ロ、小屋裏空間自体はどの仏堂にもあるが、通常は天井が張られて隠蔽される。ここには屋根の荷重を受ける巨大な梁や束柱、跳ね木などの架構が縦横に疾駆するが、この架構は「閣」を支えるための配列へと改造され、同時に「閣」の柱につぐための十六本の柱がたつ。 ハ、最後にこの架構と林立する柱の合間をぬって、「閣」へと至る階段および通路をこの空間に仕込まなければならない。その結果、隠蔽空間は切り開かれ、この空間は「閣」と下層をつなぐ中二階となる。 ■細部造形の調整 イ、本堂を禅宗寺院本堂的にするため、下層正面に花頭窓を設置する。また「閣」の化粧垂木も扇垂木とする(純禅宗様の多宝塔は東観音寺のものが著名で各重とも扇垂木としている)。 ロ、移築前に檜皮葺/葺屋根であったもの(おそらく下層建築、上層建築とも移築前は檜皮葺/葺だったと思われる)は瓦葺屋根とする。その際の瓦は信長が安土城建設のために焼かせた瓦とする(本堂付近伽藍からも出土例あり)(図9左)。 ハ、「閣」の釘隠しには六葉座を使用する(本堂跡周辺から出土)(図9右)。 の術 |